2010年12月 2日 17:22 | その他
【自民党からはじまった事業仕分け 政党の機能としての位置づけ】
そもそも、それまで地方政府で行われていた事業仕分けの手法を国政に取り入れたのは、自民党の「無駄撲滅プロジェクト」(通称ムダボ)の河野太郎チームでした。私もそのときのプロジェクトメンバーで、これは画期的なことだと思いました。当時は自民党の中でも「また河野太郎が変なことをやっている」という空気でしたし、文部科学省と環境省しかやらせてもらえませんでした。厚労省、国交省、農水省、経産省といった大所には「手をつけてはいかん」と言われていました。
実際に仕分けてみると、百パーセント無駄だというものは、さすがにほとんどありませんでしたが、政策目的を持って予算をつけているはずなのに、現場ではほとんどそれが機能していない、といったことはかなりありました。また各省庁のランニング・コスト、出版物とかホームページなどにもメスをいれました。そうしたことを通じて、財源もかなり生み出しました。これを徹底的にやれば、ざっくり二兆円くらいはフローで出てくるのではないか、というのが私の感覚でした。
当時は麻生政権でしたが、私は「自民党は無駄遣いに関して感性が鈍い」と国民のみなさんから見られているのだから、事業仕分けの手法で全省庁をわれわれにチェックさせろと言っていました。また事業仕分けをイベントにするのではなく、党の機能としてビルドインしろということも、提案していました。そうすることで財源も出てきます。当時「骨太の方針二〇〇六」で社会保障費を五年間で一兆一千億円削る、としたことがずいぶん批判されていましたから、そういうことに対する財源に充てればいいではないか、とも言っていました。残念ながら取り上げられませんでしたが、これをやっていれば自民党もかなり変っていたと思います。
われわれの事業仕分けでは、まず党の組織として(政調会長の下で)事業仕分けをやって、その結果を提言書にまとめ、もう一度党の部会で議論をします。例えば文部科学省の事業を仕分けして、「廃止」とか「縮減」という結論を出したら、それをもって党政調の文部科学部会に行くんです。そこにはいわゆる文教族といわれる、文部科学政策に精通している先生がいるわけですが、こういう先生がたとわれわれが議論をして、ここで党としての結論(=決定)を得るわけです。これまでなら、政治家は役所や業界を代弁して「予算をつけろ」といっていればよかったかもしれません。それに対して主計局あたりが「財源がありません」と言う。そういう役人vs政治家のやりとりでは、政治家は大きな声を挙げていればよかったわけですが、これは、仕分けチームの若手が「これは削るべきだ」と言い、政策通の先生がたが「予算をつけろ」という政治家同士の議論になるわけです。こうなると、役所の理屈に乗っかっているだけでは、われわれに論破されてしまいます。「先生、そうはおっしゃいますが、現場はこうなっているんです。それで本当によろしいんですか?」 と言われると、それ以上反論できない。こういう議論を通じて党としての結論をまとめていく、というのがわれわれの事業仕分けでした。
このときのことからも、事業仕分けというのは非常に突破力のあるものだと思っています。また政党のなかではこれまで、「予算をつけろ」というベクトルの機能はいくらでもあったわけですが、「予算を減らせ」というベクトルの機能はほとんどありませんでしたから、そういうものを党のなかにビルドインすることは重要だという認識を持っていました。いずれわれわれ若手が党運営を主導するようになったときには、事業仕分けをやるべきだと思っていましたし、事業仕分けを総裁選の公約にして、若手候補を擁立したいとも思っていました。
つづく
「がんばろう、日本!」国民協議会機関紙
『日本再生』第379号より
www.ganbarou-nippon.ne.jp