実録 山森ひろゆき

2021年6月 7日 17:00 | コラム


今から5年前、2016年の夏、田中健さんが国政に挑戦するために都議会議員を辞し、大田区では東京都知事選挙と併せ都議会議員補欠選挙が行われることになった。
自民党はすでに、大田区で定数8のところ3名の都議会議員(神林茂、鈴木あきまさ、鈴木あきひろ)を輩出していたこともあり、補欠選挙に候補者を出すことには慎重な意見が大勢を占めていた。


私は、
①一人を選ぶ補欠選挙で、自民党が大田区民のみなさんに選択肢を提供しないということはあり得ない。
②自民独自の知事候補を立てている選挙で、相手知事候補と一体となって運動することが予想される都議補選候補がいるのに、指をくわえて見ているなんてできない。③そもそも巷間出馬が噂されている野党候補が都議会議員にふさわしいとは思えない。
以上の理由から四人目の候補者擁立を強く主張した。


結果、平将明事務所から候補者の候補を提案することになり、私の右腕である公設第一秘書の山森ひろゆき君を提案した。山森君も全体の状況をよく理解し、難しい決断をしてくれた。大義を感じ自らリスクをとって行動する姿勢に自分の秘書ながらあっぱれと感心した。大田区議員団のみなさんは他の秘書を推薦してくると予想していたようで、驚きの声があがったのと同時に、私の覚悟もくみ取っていただいた。一部から、もし補選で山森君が当選すると、次回の都議選では自民候補が4名となり混乱するとの意見もあったが、まずは目の前の選挙で大田区民の皆さんに選択肢を示すのが自民党の政党としての責務だと押し切った。


都議補選は小池旋風の中、大変な逆風の選挙であったが、友党公明党の応援も得て大接戦を制し、山森ひろゆき君は初当選を飾った。


翌年2017年の都議本選。小池ブームは続いていた。ブームにあやかり新たに都民ファーストの会なる新党も結成された。大田区の議席数は8。友党公明党現職が2。自民党現職が4。自民党大田総支部支部長代理として私は難しい決断を迫られていた。この逆風下で4候補を出せば共倒れの可能性が極めて高かった。私は都議になっていた山森君と向き合い、出馬断念を要請した。苦渋の選択であった。「一度バッジをつけた人間はその立場に固執し、時には党を変えてでも出馬の道を模索するものだ。」先輩議員から言われていた言葉だった。山森都議にしても苦渋の選択だったと思う。強く出馬を勧める後援者の方も多かった。先輩都議3名を優先する私の提案を、彼なりの全体の状況判断から受け入れてくれた。山森君の撤退ぶりは見事だった。先輩議員の言葉は杞憂に終わった。その後、この件で彼が未練を口にすることはただの一度もなかった。自分の秘書ながら実にあっぱれと感心した(2回目)。後日談だが、山森君が大田区からの都議選出馬を断念した後に、他の選挙区から出てくれないかと自民党都連の大物議員から頼まれたことがある。申し訳ないが彼のような人材をよその選挙区に渡すことはできないとその場でお断りした。


時が過ぎ、2021年。前年に神林茂都議は引退を決意し、後継には是非山森君をとの話をもらっていた。最終的には自民党大田総支部で決定することであるが、再び山森君と向かい合い、話をすることになった。「代議士にはもっともっと上を目指し、代議士の目指す日本を創ってもらいたい。そのために代議士を支え一緒に活動するのが私の生き甲斐なんです。」山森君から代議士冥利につきる言葉もあった。私からは「激甚化する自然災害対応、コロナなどパンデミック対応、デジタルガバメント対応と、大田区・東京都・政府の連携が今まで以上に重要になってくる。全体をつなぐ役目を都議会議員として果たしてくれないか。」と話し、最後は彼自ら納得し決断をしてくれた。いつも明るい平事務所には珍しいお互い涙ぐみながらの会談になった。


政治の世界では、現職議員の引退に伴い後継候補を決める場合、揉めることが多い。もめ事を避ける知恵として結果世襲候補が増えたりもする。自民党大田総支部における山森君の公認審査は比較的スムーズだったと思う。5年前の政治の世界ではありえない「潔い撤退劇」の記憶が議員の頭の中に鮮明に残っていたこともあるのではないかと思う。自らの損得ではなく、全体の状況を俯瞰的に判断し、決断し、行動してきた。結果として皆から推される形で出馬することになった。議員になりたいという人や自民党の公認がほしいという人は結構いるが、このように良い形で出馬できる人は本当に稀だと思う。もし、山森君が当選を果たしたならば、議員を目指す人たちのロールモデルになるかもしれない。「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」、これを無意識にやってのける人物はなかなかいない。自分の秘書ながら実にあっぱれと感心した(3回目)。


がんばれ!山森!!期待しているぞ。


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