【インターンによる発信 『若い声』】  インターンR・Mが肌で感じた「北方領土ビザなし交流」

2015年11月11日 19:24 | 若い声

 「これが、日本人が自由に行けない日本の領土、あの北方領土だ。」私が北方領土ビザなし訪問団の一員として今年7月、択捉・国後島に足を踏み入れたときの率直な感想です。今年9月、安倍首相とプーチン大統領が国連総会出席の折に会談し、北方領土問題を議論した直後でもあるので、この場をお借りして北方領土の現状を、ありのままにお伝えしたいと思います。(ビザなし交流は返還要求運動団体の推薦によるものです。パスポートやビザを取得せず、外務大臣の発行する身分証明書などを提出することで訪問が認められるので、「ビザなし交流」と呼ばれています。)

 ソビエト連邦に占領されるまでの北方領土は日本の統治下にあり、終戦当時は17,291人の日本人が生活を営んでいました。しかし、1945年の終戦から1949年までにすべての日本人が自力脱出を試みるか、ソビエト連邦によって樺太経由で強制的に引き揚げさせられるなどして、島を離れました。現在では約17,000人のロシア人が生活を営み、日本人は住んでいません。また日本政府は北方四島への入域を自粛するよう要請を行っています。(「ビザ無し交流」を除く)  [参考:外務省HP:http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/hoppo/hoppo_qa.html

 北方四島地域は10年ほど前まで、インフラ開発が非常に遅れ、道路は未舗装、港湾施設は小さな漁港程度、飛行機は濃霧で相次ぐ欠航という状態だったそうです。しかし2007年以降「クリル諸島※社会経済発展計画」がロシア連邦政府とサハリン州によって進められ、約279億ルーブル(約857億円(2007~2015年為替平均))がインフラ整備に投入されてきました。

 私が訪問した国後島では、「日本人とロシア人の友好の家(いわゆる「ムネオハウス」)」の前でアスファルト舗装工事が行われるなど、最大集落である古釜布(ふるかまっぷ)市街地はすべて、コンクリートもしくはアスファルト舗装がされていました。択捉島では島影が大きくなるに従って、大型船舶が接岸できる立派な埠頭が現れたことに非常に驚きました。さらには、第三国からの国際便受け入れ機能を持つ、全天候型の新「エトロフ空港」がロシア資本によって建設され、昨年9月よりユジノサハリンスクとの間に定期便が就航しています。択捉島では市街地のみならず、離れた集落を結ぶ舗装道路も開通しました。

 交流を深めることを目的としてロシア人家庭を訪問するホームビジットも体験した私は、島のロシア人住民は十分な経済力を持ち、生活を楽しんでいるという印象を受けました。そして、日本本土の地方と圧倒的に違うところは、若い女性と子どもの多さです。街にはベビーカーを押す女性が多くみられ、幼稚園には定員を超える子どもが過ごしていました。また、豪華なロシア正教会が建設され、住民の心の拠り所となっています。島の経済・文化レベルは近年、確実にそして急速に近代化しているのです。

 しかし、私が接したロシア人はこう口を揃えます。「隣人であるイポーニェッツ (日本人)と、もっと友好を深めたい。」確かに、近所づきあいから極東開発協力まで、隣国である日露両国が手を携えて互恵関係を築くメリットは大いにあります。しかしその為には、自由な人的交流・経済交流の礎となる平和条約の締結と、その前提である北方領土問題の解決が必要不可欠であると、今回の訪問で改めて痛感しました。四島地域へのロシア閣僚訪問が相次ぐなど、北方領土問題を取り巻く情勢が厳しい今こそ、安倍首相にはプーチン大統領との個人的友好関係を活かして領土問題を解決へと前進させ、平和条約締結への目途をつけて欲しい。日露間に横たわる最大の懸案事項といわれる北方領土問題をこの目で見た者として、解決の日の近きことを切に願い、ビザなし交流を終えました。

<インターンR・M>

(※「クリル諸島」は北方四島のロシア政府側呼称)

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